退屈な閉鎖:ひきこもりは専有的に日本の社会問題ですか?


ひまあったら見る: “きよたん孤独な派遣社員

Btw: “HIKIKOMORI Hō Rō Ki” - One Hikikomori-man’s autobio
《ひきこもり放浪記》かってな英訳

“When the ancients saw a scapegoat, they could at least recognize him for
  what he was: a pharmakos, a human sacrifice. When modern man sees one,
  he does not, or refuses to, recognize him for what he is; instead
  he looks for ‘scientific’ explanations — to explain away the obvious.”

—Thomas Szasz, Ceremonial Chemistry

Reclusive Shut-ins: Are Hikikomori Predominantly a Japanese Problem?

February 21, 2016 — Alexander Krieg

[ English PDF ] // へた和訳 1 DEC 2017 by most.cyak@gmail.com
★ いくらかの名前は明らかに日本人であるが、フルネームは分からない、カタカナ表記とする

「ひきこもり」とは、急性の社会的撤退の状態とその当事者の両方を表す用語です。精神科医の斎藤環 (Tamaki Saitō) が1998年に最初に導入した造語で新聞記事や斎藤のテレビインタビューに続いて、日本ではその言葉や状況が大いに知名度を博しました。
カナダのジャーナリスト Michael Zielenziger 2007年の著書「太陽を閉め出す」と New York Times の記事「自分たちを締め込む」を経て、技術的には英語 “social withdrawal” (社会的撤退) の字訳ですが、直ぐに、ユニークな日本語の用語として shakaiteki hikikomori (社会的ひきこもり) は英語圏のコミュニティに逆輸入された。それ以来、世界各地で科学調査や人気記事の数が急激に増えています。この話題は、様々な社会科学や人文科学背景の方々を引きつけて、その勢い今も続けている。

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(Fredrik von Braun) These program hosts are so insensitive. Being shocked
and “disturbed”. Those reactions are part of the problem.

「ひきこもり」に言及すると、すぐに現れたイメージは、ある日本人の若い男、何年もの間、実家のベッドルームの中で、自分自身を孤立させ、話しも交流することを拒否し、誰にでも見られたくない  自分の家族を含めて例もある。食事は一日に数回ドアの前に送り置いて、彼は代わりにゴミやカスをそこに残る。
初めに彼は閉鎖時間をビデオゲームやオンラインチャットに費やすかもしれませんが、それらの活動はずっと前から魅力を失っていたよう、今、彼は単に空気に目を向けます。 ひきこもり。 完璧な孤立の世界。

 以上の描写は、ヒキコモリについて、必ずしも間違っているわけではありませんが、ただただ一部のケースを映すことが出来るので、ひきこもりの当事者によって、伴う気質や特徴は多様性があるため、私たちが検討している状況を、その言葉に統合し、明確化するよう、多くの努力がなされました。
斎藤はもともと社会的撤退という言葉で形容しているのは、一種の障害、そしてこの障害の表現として、何らかの付随する精神病的症状。精神分析の伝統の一環として、ヒキコモリは「成人期が今30代にどのように延期されているか」と関連して、「思春期の問題」とみなされています。彼の信念によれば、唯一の治療法は「成熟への社会的性格の開発」である。 [3]
精神分析的なルーツの他にも、その状況を行動的に定義する試みは多くありまして、提案された病因と定義との間に明らかな相違が生じている。これまで最良の行動による定義は Teo と Gaw (2010) によって提案された。ひきこもりについて、この定義は、状況に関連する核心の概念集を六つの基準で捉えています。
(一)ほぼ一日、ほとんど毎日が自宅で過ごしています、
(二)社会的事情を持続的に回避、
(三)社会的関係を持続的に回避、
(四)個人は人並みの日常において困難または苦痛を経験し、
(五)期間は少なくとも六ヶ月、そして
(六)社会恐怖症、大うつ病性障害、統合失調症、回避性人格障害などの他の精神障害によってはそれほど説明できない。

 どのように意見や定義の不一致があったのかと同様に、以下の三点に限られていないが、ひきこもりを取り巻く多くの誤った理解や情報があります:
(一)日本のひきこもりの数、
(二)日本以外のひきこもりの存在、
(三)現代日本の文化や社会による現象やいなや。
これらについては、以下のセクションで一つずつ説明します。

「百万人のひきこもり」

 斎藤の当初の見積もりで示していたのは、ひきこもりの状態にある人数は約百万に達した。それ以来、英国放送協会スペシャルの「ヒキコモリ:消えた百万人」のような他のメディアソースは、この「新興疫病」の重要性を強調するために主にこの数字を反響しています。しかし、百万人の推定値は実証的な根拠がない。
これまで、標本抽出統計に基づいて日本のひきこもりの数を計算しようとする三つの研究があった。
◎ 2002年、ミヤケ氏のチームは、沖縄の1646人のサンプルのうち14例を見つけ、全国で約41万人の症例があると外挿(推測)できる。
◎ イヌイは、2008年 [6] には、労働市場参入に関する統計を用いて、ひきこもりの数が実際にそれより少ない、全国で約20万件になると推定している。
◎ その数を確認するための最善の試みは、日本で23万2千のヒキコモリが存在すると推測している最先端の標本抽出と統計的技術を用いたコヤマのチームの疫学研究 [7] にあります。これによれば、20歳から49歳の間の日本人は生涯有病率 1.2% となっています。(有病率:一度は病気にかかる人の割合)科学界はこれを2010年現在の最も的確な見積もりとみなしています。

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「ひきこもりは日本の特有現象」

 最初に、この現象を調査したとき、斎藤 (2008) は世界中の精神保健専門家に、彼が形容したような症例を見たことがあるかどうかを尋ねました。
この調査の統計は入手できなかったが、斎藤 (2013) はこれまで聞いたことがないの回答者を強調した。 [1,3]
この研究を元により最近の系列化した再研究では、カトウ (2012) と彼のチームは、世界中の八ヶ国の124人の精神衛生専門家のうち、ほぼ皆がこの描写に合致する人は自分の国に存在するのを見たり聞いたりしたことはあります。それに、スペイン、オマーン、米国、カナダ、イタリア、英国、フランス、台湾、韓国を含むいくつか日本以外の国からのヒキコモリ事例研究があります。
孤独感や治療の順位などのヒキコモリ特徴を比較する多国間での実地調査もあります。 私自身の就職先、ハワイにある児童査定・治療センターでは Teo と Gaw の定義(基準六を除く)によって、ひきこもりの基準を満たす6人以上が過去二年間に見ました。
また、この問題に関連して、韓国のひきこもりの疫学的推定値(2%または約10万人)は、日本とほぼ同じ人口比率である。

 ヒキコモリ現象が世界的であるという強い浮上する証拠があるにもかかわらず、特定の研究者と報道者たちは、この問題を日本専有として解釈しようとすること(次のセクション参照)によって、その国と文化を病理化させ。

正式に「文化的に限定」する精神障害として、ひきこもりを加えるという Teo と Gaw の提案は有りましたが、彼らはその後の発表で、明確的に陳述した:特定の文化的状況においてのみ現れることを示す「文化的に限定」という言葉は、実際には「文化的に関連」という意味のはずです。
しかしながら、その定義によって、例えば反抗挑戦性障害、大うつ病性障害、統合失調症、すべての精神障害は「文化的に限定」になる。
ことわるまでもなく、この証拠は、すっかりと「ひきこもり」は日本語の言葉であるが、その現象は世界的であるということを絶頂的に強調している。

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「ヒキコモリ:社会は危機に瀕することの象徴」

 この主張は、かなり本質的に主観的であるこそ、反論はより困難です。
一部の調査報道者、例えば Zielenziger (2007) と スガイ (2013) は、ヒキコモリは日本国外に存在しないという架空の主張に依拠して、ヒキコモリの文化的病因を実証するために、日本や他の国々の文化的特質を比較して対照している。最も紛らわしいのは Zielenziger の著書のサブタイトル「日本がどうやって自国の失われた世代を作り出したか」です。本のなかには、
(一)個人主義/集団主義、
(二)日本の教育制度、
(三)日本の家族制度/その機能
さまざまな文化的および社会的要素を「ひきこもりの隆盛」に起因としている。 以下の議論のために、まず二つの認識は重要です。
一、日本は、社会と文化として、ヒキコモリより遥に非ヒキコモリを生み出している。二、日本で或る個人はヒキコモリになることを予測できる要因は、他国とは対照的に(群内対群間の予測)日本で或る個人はヒキコモリになる理由について最良の説明になりません。
集団主義と教育システムの影響はこの記事の範囲外であり、直接コメントの代わりに、私はただ調査者に献言する:この種の因果関係を証明するのは非常に困難であることを理解してください、このタイプの結論は、他のより簡潔な説明も除外されている状況下であれば、たかだか試案的なものです。

 日本の家族については、子育てスタイル、母親の愛着、一般的な家族機能など、家族活動の基本的な欠陥がひきこもりの主要原因であるという主張が多くありました。これについての論拠は、ひきこもりとその家族が頻繁にこれらの懸念を報告していることです。しかし、これらの二つの課題は確かに関連しているかもしれませんが、それが原因であると推測できる証拠は今までありません。
さらに、現代日本の家族は有意義的にコミュニケーションをしていないと主張する研究者 [21] もいるが、いわゆる「有意義的」はどのように概念化されていたのか、これがひきこもりの有無にかかわらず、日本の家族の専有状況であるかどうか  ましては同じ時代の他国の家族と比較すればどうなりますか。
自閉症児、ひきこもり、健康な子どもの家族における家族機能に関する調査では、コシバ (2007) と彼女のチームは、ひきこもりと自閉症児の家族は、対照群よりも家族の機能は低い、ということを見出した。しかし、家族機能が圧倒的に生物的障害による自閉症を「引き起こす」わけではないのと同じ、それとヒキコモリはどのようにかかわっているのかは不明である。
ウメダと世界精神保健調査グループ (Umeda & Kawakami, 2012) が主導したもう一つの大規模調査では、育児の流儀はヒキコモリと関連していなかったが、両親のどちらは精神疾患にかかっていることと関連している。それにしても、後者との関連性は、生物的素因、または環境要因(或いは両方)によるかどうかは不明です。さらに、親と子どもの精神病的懸念の関連性は、かなり確実で世界的なもの (Goodman, 2011) であり、必ずしも「日本は危機に瀕する」とは言えません。

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 描写的および予測的な診断的ラベル

 以上はひきこもりではないものを議論した、で、それは何ですか? ただの流行語ですか? メディアの大袈裟?
確かに此処まではヒキコモリについて一般的な考えと散蒔かれてきた誤った情報の一部にチャレンジしてきましたが、問題はそのまま残っている: どのようにして、深く苦しんでいるこれらの人々の様々な特質、行動、および経験した症候を最もよく説明し、描写することができますか?
詰まる所は、このラベル「ひきこもり」はどう云う意味などではなく、その状態を概念化する最良の仕様を見つけることによって、最も高い臨床的実用性および最も高い治療の成功率へ導くことです。
共存症の課題、つまり、ひきこもりと共存する精神障害は、問題をより複雑にする。ひきこもりの現役の定義は、他の精神病状態が存在しないことを規定しているが(基準六)、その適用範囲は、ひきこもりという大集合の小さな部分集合に過ぎない。斎藤でさえも、大半の症例が社会恐怖症、強迫性障害、統合失調症、広汎性発達障害などの他の疾患の基準を満たしていることを認めている。早期の推定では、ひきこもりと他の精神障害の共存症率は54%〜73%の範囲であった。
しかし、これらの研究では、方法論に重大な欠陥があり、発達障害または精神障害を評定しなかった。この二種類の障害は、若干他の研究によれば、ひきこもりとの共存症率は高い。(20〜33%)
これまで最も徹底的な研究は、複数の治療センターからのサンプルを、高度な訓練を受けた複数の精神科医/心理学者による評定。その337例の間でひきこもりと他の精神障害の共存症率(1例を除く)は 99.7% が立証できました。

 社会的撤退は、以下を含む多くの精神医学的懸念の症状です:不安障害、うつ病、精神病性障害、人格障害、および広汎性発達障害。これは、ひきこもり症候群(および異質表現)の全体は、既によく確立され、十分に研究された精神状態によって説明される可能性があることを意味する。
さらに、共存症は Teo と Gaw の定義による基準六に違反している。つまり、ひきこもり症例の大多数は、技術的にひきこもりではない。
これに関して、すべての診断的ラベルは、ある意味で「捏造された」ことを覚えておくことが重要です。それらは、さまざまな障害はどのように働いているのか、どのような症状は関連しているのか、専門家が持っているアイデアです。
こういうラベルの目的は、
(一)状況を描写する、それに
(二)最大の成功をもたらす適切な治療法を処方する。
このように、これらのアイデアは、これらの診断ラベルの有効性、説明力、および臨床的実用性を提供するために実証的観察に定着させることが重要です。 云うまでもない、ひきこもり研究の次のステップに含まれるのは、以下の質問に答えることによって、弁別の妥当性(諸々診断的ラベルを実証的に差別させる能力)と説明力を提供すること:
「ひきこもりは、既存の精神的障害よりも、急性の社会的撤退とその付随症候の状態を説明することができますか?」
それを出来る前には、診断的用語「ひきこもり」はただの虚構という論点を出すのもあり得るのことです。

米 脚註略

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